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2007.02.27 Tuesday
メルキゼデク式 世界の歴史32
つづきです。
人々は次のステップを踏み出す準備ができたと思えるまで、何千年もこの具象化の状態に留まることになりました。右脳と左脳をつなぐ脳漿の役割を果たすために、三人の人が選ばれました。トートの父親、トームはその一人でした。彼とあと二人だけが島中どこえでも行くことが許されました。それ以外の人々は完全に分けられていました。それから三人は彼らのエネルギー、思考、感情とすべての人間性の側面を、細胞レベルでなく人体レベルで統合された人間の脳の中に整えていったのです。
次のステップは、「生命の木」の形をアトランティスの地表に反映させることでした。彼らはここで10ヶ所でなく12ヶ所のセンターを使ってますが、11番目と12番目は大陸の外にありました。その一つはウーダル島で、もう一つは南の海中にあたります。この土地には私たちが親しんでいる10の構成要素があったわけです。
トートによると、地表を何百キロにもわたって伸びるほど大きな建造物なのに、原子一つ分の大きさまで正確に反映されたといいます。「生命の木」のセンターにあたる地点には、その球の形と大きさに合わせてアトランティスの中心都市が設計されたそうです。プラトンは著書「クリティアス」において、アトランティスの中心都市は、三つの環状の島によって隔てられていたと言及しています。
その都市は赤い石、黒い石、そして白い石で建てられていたとも言っています。この最後の言葉に関しては、あとで大ピラミッドにつして話す時、すぐにピンとくるでしょう。
つづく
平野大統領
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2007.02.25 Sunday
メルキゼデク式 世界歴史31
フラワー・オブ・ライフ ドランヴァロ・メルキゼデク著 の抜粋引用で、世界の歴史特に2〜3万年前の以降の地球の歴史を学びたいと思います。
著者の紹介
ドランヴァロ・メルキゼデク(Drunvalo Melchizedek)
カリフォルニア大学で物理学と美術を専攻。しかし彼自身は卒業後のほうがはるかに多くを学んだと語る。25年の間に、さまざまな思想・宗教的立場の70人以上にも及ぶ師からの教えを受け、幅広く奥深い知識を身につけるとともに、豊かな共感力と受容力を培った。知性的であると同時に、愛にあふれたあたたかなハートの持ち主で、多くの人々を惹きつける。
ドランヴァロが主宰する「フラワー・オブ・ライフ」および「マカバ瞑想」のプログラムは、いずれも太古から現代までの広大な人類の進化成長を、人間が認識しうる領域全般にわたって探求し、「意識」の進化について明確な未来のヴィジョンを提示するという壮大なものである。そのほかにも、母なる地球を癒し、一人ひとりが故郷への旅の準備を進める「アース・スカイ」のプログラムなど、多くの活動を行っている。
フラワー・オブ・ライフのHP
http://www.floweroflife.com
アトランティスに新たな意識を誕生させる試み
時が満ち、レムリアから来たナーカルの人たちは、アトランティスの彼らの島に、人間の脳のスピリチャルな構造そのものを建築しました。その目的はレムリア時代に学んだことを基本にして、新たな意識を誕生させることでした。彼らはまず脳にアトランティスの新たな意識を融合させなければならないと信じたのです。
トートのいう人間の脳のイメージを念頭に置きながら考えると、だんだん彼らのしたことが理解できるようになってきます。まず彼らは島の中央に、島を半分に分ける、高さ12メートル、厚さ6メートルほどの壁を作りました。向うに行くには文字通り水に入らなければならなかったそうです。それから、その壁に対して90度に交差する低めの壁を建てて、それによって島を四つの部分に区切りました。
それから人々を性質ごとに分け、ナーカル神秘学派に属していた1000人のうちの半分が片側に住み、残りの半分がもう片方の側に住みました。それはすべての女性が片側に住み、すべての男性がもう片側に住んだということになりませんが、私が考えるには、どちらに行ったかは肉体により決定されたのではなく、脳のどちらの側により依存しているかで分けられたのではないかと思います。このようにして、男性的な脳の部分を構成する人と、女性的な脳の部分を構成する人がほぼ半分ずつになりました。
つづく
平野大統領
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2007.02.24 Saturday
大変革の月となった
この度、メイン銀行を変えることとなった。一ヶ月前から、いろいろ交渉した結果、変えることとした。なかなかしんどい交渉だった。
ようやく、昨日話がまとまり契約の運びとなった。関係各位の皆様に感謝したい。困った時のありがとう、うまくいったときの感謝します。まったくその通りとなった。
平野大統領
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2007.02.22 Thursday
ウェティコ式 現代文明11
抜粋のつづきです
・・・・
大量絶滅の道をたどる人類
人びとが薪で暖をとり、日光とロウソクから明かりを採り、すんでいる地域で食料を育て狩猟していた時は、国のある地域の問題が別な地域に対して影響を及ぼすことはあまりなかった。
同様に、人々が様々な食物を育てて食していた時は、一つの食物が破壊されても影響を受けることはなかった。しかし、アイルランドではジャガイモを主食としていたために、1846年、ジャガイモが不作となり、多くの人が餓死するという結果を招いた。
今、アメリカ(世界のほとんどの国も同様であるが)は、サービスおよび産物の集中化を推進している。北アメリカだけでも一万五千種類の食に適した植物が知られているにもかかわらず、平均的なアメリカ人が一年間に食べる植物は三十種類足らずであり、一生の間でも五十種類に満たない。広大な耕作地に同じ作物(多くの場合、雑種)が植え付けられるが、実はこれが伝染病には絶好の条件なのである。
私たちの食糧生産の大部分は、ごく少数の巨大な企業によって行われている。これらの企業が私たちの生命線を握っているといっても過言ではない。彼らはこの事実をきわめて明確に自覚しており、農民が毎年、種子を買わなければならないようにするために、多くの交配種を意図的に不実にしているのだ。これが信じがたいというのであれば、次のような話もある。
過去五十年の間に、自分が収獲した穀物の種を翌年に蒔くよう保存しておいたために、数人の農民が窃盗のかどで種子会社に訴えられているという話だ。
リチャード・リーキーによると、種が絶滅する平均的なスピードは四年に一種であるという。この平均的な数値は三億年以上のあいだ一定していた。すなわち、百年に平均して二十五種、千年で二百五十種が絶滅するという状況が今世紀まで続いた。
さて、現在の私たちは地球の生態系を、どの程度のスピードで破壊しているのだろうか。人間が初めて地球に姿を現したときに、地球に存在していた動植物のほとんど四分の一を地球は失ってしまった。そしてそのほとんどは、ここ百年の間に失われている。
地球上に五十億人以上の人間が存在している結果、一万七千種から十万種が毎年失われている(どの統計を用いるかで数には変動がある)。このような動植物の絶滅は、過去五十億年の間に五回しか起こっていない(最後にそれが起こったのは恐竜が絶滅した時である)。
したがって、ここ百年の種の絶滅は、まさに大量の種の絶滅であり、自然のバランスは完全に崩れてしまった、とリーキーは述べている。
そして、ピラミッドの頂点に立っている動物である人間が、自分をサポートしてくれたこれらの種を絶滅させたわけであるが、劇的にかつ迅速に状況が変わらなければ、自らも大量絶滅の道をたどるだろうと、リーキーは率直に述べている。
つづく
平野大統領
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2007.02.21 Wednesday
ウェティコ式 現代文明10
つづきです。
現在の増加率でいえば、世界の人口は2030年には百億人、2070年には二百億人、2150年には八百億人に達するだろう。しかし、この増加率が継続するとは誰も思っていない。単純な話、それをサポートするに十分な食料を生産することは不可能だからである。人口増加を止めるのは戦争化、飢餓が、疫病か、自然の大災害か、あるいは「優れた科学」(たとえば産児制限が世界中で突然可能となり行われるようになる)かというのは現在、議論の的となっている。しかし、現在の人口増加率がこのまま続くことはない、という事実については議論の余地はない。
私たちは資源に負担がかかり過ぎた超満員の世界を創造してしまったが、それは、古代の太陽光線を消費し、それを食物へと転換し、その食物を食べることによってより多くの人間を養ってきたからである。
この古代の太陽光線がなければ、地球が養うことができる人口はおそらく二億五千万人から十億人というとみろであろう。この数は、石油と石炭が発見される以前に地球が養っていた人口である。しかし石油と石炭がなければ、残りの五十億人は餓死することになる。
というわけで、私たちは生き残れるかどうかという危険な崖っ渕に立った状態で、21世紀に突入したのである。
つづく
大統領の一言
今後、ラブロック氏が言う如く、ガイア(自然の法則出てきた惑星なので、創造主の代理ともいえる)の逆襲が始まる。自然の大災害、疫病、飢餓、人災等による人類の大量抹殺の時代となる。これらの事を避けるには、今日からでも我欲の抑制を実施するしかないだろう。全地球人が今日から実施したとしても、クライシスが少し伸びるに過ぎないかもしてない。しかし、時間は稼げる。その間に我々は新しいエネルギーシステムを発見するかもしれない。これくらいしか生き残れる方法がないのが悲しいが・・・
平野大統領
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2007.02.20 Tuesday
ウェティコ式 現代文明9
つづきです。
しかし、そこでとどまらなかった。私たちはさらに効率的に石油から蓄積された太陽光線を取り出し、石油を蒸留してガソリンをつくり、それを消費するための効率のよいエンジンをつくった。その結果、食糧生産は再び飛躍的な増大を遂げ、人口もまた飛躍的な増加を遂げた。
地球人口が四十億に達するのに、1960年から74年のわずか14年しか要さなかった。
1987年にはさらに十億人を追加し、地球の人口は五十億に達した。五十億に達した時点で、人間は生物量(ある地域内に生息する生物の量を意味し、生息地の単位面積または単位量あたりの生物体の量によって表す)という観点から見ると地球上で最多の種となった。1990年頃に、人間は地球上で最多の哺乳類となり、ネズミの数さえ上回る事となった。いまや地球上で他のいかなる種よりも多くの人間の肉体が存在し、世界全体のNPPの四十パーセント以上を消費しているのだ。NPPとは、地球上のあらゆる種にとって入手可能な食料とエネルギーの全体量を計る尺度である。
私たち人間は、地球上で入手可能な淡水の五十パーセント以上を消費している。これは、地球上に住む人間以外の動植物たちが、人間が残したわずかのものを手に入れるために、互いに競争しなければならないことを意味する。
マイケル・トビアの著書「第三次世界大戦」の中で、著者が資料を使ってよく説明しているように、私たちは三週間ごとにロスアンゼルスの人口と同じ人口を増やしている。人類の歴史全体の0.1パーセント以下の時間のなかで、人口増加の90パーセント以上を体験した事になる。
つづく
大統領の今日の一言
いまや人類は66億人になり、まだ増え続けている。我々が生きるに必要な食糧やエネルギーはもう限界に達しようとしている。ほんとうに人類はどこへ向かってひた走っているのだろうか。しかし、もう限界点まで行ってみるしかないだろう。自己完結というルールのもとに・・・
平野大統領
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2007.02.19 Monday
ウェティコ式 現代文明8
つづきです。
膨張の先にあるクライシス
石油は燃料としてだけではなく、実に様々な用途があることが判明した。かくして、今世紀に入って私たちは蓄積された古代の太陽光線を、より多く「消費」しはじめるのである。
石油は化学繊維や住居用の樹脂、そしてプラスチックに変えることが可能である。石油で衣類をつくることができるために、ヒツジの遊牧地や綿花栽培のための土地は少なくてすむようになり、さらに食糧を生産していない多くの土地を食糧生産用に変えることが可能になった。
アメリカは南北戦争の直後に始まった食糧生産の飛躍的増加によって、地球の人口は石油発見時の十億人から二十億人になった。
1930年までには、農業用の機械が広く使われるようになっていた。農業生産の手段として石油を使うことによって(トラクターの燃料、石油で肥料をつくる、農薬の製造などなど)、食糧生産は爆発的に増大した。最初の十億人を生産するのに二十万年を要したが、二番目の十億人を生産するのに百三十年、3番めの十億人に至ってはわずか三十年であった。
そして1960年、世界の人口は三十億人に達した。
つづく
平野大統領
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2007.02.18 Sunday
ウェティコ式 現代文明7
つづきです。
これは人間の歴史における重要に瞬間を象徴している。というのは、この時から私たちの祖先は地球が蓄えた太陽光線エネルギーを使って生活しはじめたからである。
私たちの祖先は、何百万年も前に植物によって蓄えられた太陽光線を消費することができるようになった。地域に降り注ぐ一日分の太陽光線が供給することができたよりも多くの資源を、食料や熱、その他の物質という形で消費しはじめた。これは人間の歴史において初めての出来事だった。その結果、住んでいる地域の「現在の太陽光線」だけを、エネルギー源および食料源にした場合に地球がサポートできる以上のレベルまで、地球の人口は増えてしまった。
これはつまり、石炭の供給がなくなれば、熱源としての森林を再び育てるために耕作地をあきらめるか(飢餓の危険を冒すことになるが)、あるいは食料は十分にあるが冬に凍死するという過酷な選択に、やがて直面しなければならなかったであろうことを意味する(あるいは、もちろん寒い気候を捨てて赤道の近くに人口移動することも可能だったであろう。しかし、人口の歴史的な移動は赤道から遠ざかるものであった。これは燃料が入手可能であることによって助長された傾向である。)
今日でも、これとまったく同じ傾向が見られる。燃料が入手可能であることによって人びとは燃料に依存するようになり、その燃料がなくなれば苦しむことになるという傾向である。
仮に、私たちの祖先が石炭を使い尽くしていたならば、自然が取って代わり、彼らの人口を制限しただろう。ところが渡したとの先祖は、もう一口別な「銀行口座」を発見した。古代の太陽光線が、別な形で蓄積されていたのである。すなわち、何千万年もの昔、海底に沈んだ植物が地表の下に閉じ込められ、圧縮されて、今日というところの石油になっていたのだ。
この、太陽光線のもう1つのエネルギーである石油が初めて使われたのは、1850年頃のルーマニアにおいてである。しかし、本当のブームは1859年、アメリカ・ペンシルバニア州のタイタスビルで石油が発見された時に始まった。当時の世界人口は十数億人を少し越えたところで、人類は耕作地に降り注ぐ現在の太陽光線と食料源である動物、そしてヨーロッパやアジア、北アメリカの地中から取り出された石炭を燃やすことによって取り出した相当量の太陽光線によって養われていた。
しかし、豊富な埋蔵量の石油の発見によって、古代の太陽光線を持つ実に「巨大な店のドア」が広く開け放たれた。炭素とともに閉じ込められた、この古代の太陽光線を燃料にトラクターを使うことによって、私たちの祖先は食糧生産の能力を劇的に増大させたのである。
明日は「膨張の先にあるクライシス」です。
平野大統領
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2007.02.17 Saturday
ウェティコ式 現代文明6
つづきです。
その後に、巨大な災害が起きた。歴史全体を通して地球を襲った、五回の絶滅の1つがやって来たのだ。なぜこの絶滅が起きたのか、確かなことは誰にも分かっていない(彗星あるいは遊星との衝突が原因ではないかとかんがえられている)。地殻活動の巨大な爆発によってパンゲア大陸はバラバラとなり、地球の環境は後戻りができないほどに変化した。地殻は多くの場所で口を開け、火山が爆発し、大陸は崩れ、移動した。かつてパンゲア大陸の一部であった大陸が、同じくパンゲア大陸の一部の他の大陸と衝突し、何百万エーカーの土地が隆起して山となり、その他の地形を形成した。植物が密生していた地表のマットは地下に沈み、八千万年にわたって蓄積された太陽光線のエネルギーが、炭素という形で閉じ込められることになった。
そして九百年前に、ヨーロッパとアジアの人々が地表の下に石炭を発見し、それを燃やし始めた。この石炭は古代の植物のマットの最上層部であり、数千万年ものあいだ蓄積されていた太陽光線であった。石炭を燃やす事によって、人間は初めて遥か昔に蓄積された太陽光線のエネルギーを、利用することができるようになったのである。
石炭が広範囲にわたって利用されるようになるなるまでは、私たち先祖は一定面積の森林を維持しなければなかった。というのは、寒帯性気候に住む人々は寒い冬を生き残るために、熱源としての木材が必要だったからである。森林は「現代の太陽光線」エネルギーを捕獲し、人間はその捕獲したエネルギーを暖炉やストーブで解放し、冬の長く暗い日々の間、家や洞窟、ティピー(インディアンの移動式テント)を温めることができた。
しかし、石炭の利用によって現在の太陽光線に対する依存度は減少し、人びとはこれまでよりも多くの森林を切り倒し、それを耕作地に変えた。彼らはもはや熱源としての樹木に絶対的には依存していなかったからだ。耕作地を増加させることにより、より多くの人間のための食料を生産することが可能となり、西暦1000年には五千万人であった地球の人口が、1800年には最初の十億人に達した。
つづく
大統領の一言
人類の地球資源ただ取りが加速してきたわけだ。今日のニュースでは、北極海の地下の資源探査を先進国が共同でやるとの計画だそうだ。次は南極、この先どうなるのか、どうも人類は地球を食べ尽くす気らしい。何とかしないと・・・
平野大統領
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2007.02.16 Friday
ウェティコ式 現代文明5
つづきです。
石炭の登場である。石炭は熱源として森林にとって代わり、森林を農業用の土地として開拓することによって、人間のための食糧増産に役立てたのである。
開かれた古代太陽光線の扉
およそ三〜四億年ほど前に、科学者が「石炭紀」と呼ぶ時代があった。石炭紀という名は、この時代の初期、大気中に莫大な量の炭素が二酸化炭素の形で存在していたという事実に由来する。
二酸化炭素は「温室効果をもったガス」であり、温室のガラスと同じように太陽熱を閉じ込めて宇宙に逃がさない働きをする。三億六千年前から二億八千万年前まで八千万年続いた石炭紀には、地球の大気中に非常に多くの二酸化炭素があったために、地球の温度は今よりも高いものであった。
また、現在の地球は二十五パーセントが陸地で、七十五パーセントが海であるが、当時は地球全体の陸地は一つの巨大な陸地から成っており、地理学者はこの大陸を「パンゲア」と呼んでいる。
パンゲアは鳥や動物、恐竜が誕生する以前に既に長い間にわたって存在していたが、当時の地上に生存していたのは植物、魚、昆虫、小爬虫類などであった。大気中の高いレベルの二酸化炭素が太陽エネルギーを熱として捕獲し、植物が光合成の原料として用いる炭素を大量に供給し、その結果、植物が著しく繁茂した。パンゲアの大部分は密生した緑で覆われ、それは空中何百フィ−トの高さまで達し、その結果腐食した植物が地表を厚く覆い、場所によっては何百フィート、何千フィートという深さに達した。この時代が八千万年続いたが、植物はさらに繁茂し続け、大気圏からますます多くの炭素を捕獲し、それを葉や茎、根といった植物繊維に変え、大気中の二酸化炭素を減少させていった。
同時に、地表の四分の三を覆う海も、膨大な量の植物の自生地だった。しかし、そうした植物の多くは単細胞の藻類や、その他の非常に小さな植物のようなものだつた。これらの植物もまた、海面の近くで、太陽エネルギーを捕獲した。それらはそのエネルギーを使って大気中の二酸化炭素を植物の炭素に変え、やがて枯れて海底に沈んだ。
つづく
平野大統領
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